あとがきにかえて


国隙社会から金満国と指摘されるわが国日本は、財テクブームの まっただ中にある。ブームたる所以は、ごく一般の勤労者、主婦、 そして老人層までが多数、財産形成に参加していることではないだ ろうか。
しかし、この金満さは表面に現われている現嚢ほど豊かなもので はなく、ち上っと嫁れば町単に剥げ落ちてしまう上ぬり塗料のよう なものだと思う。もしかするとそれ以上のもの、つまり、ただの虚 像なのかも知れない。、「長い老後に不安がある」という本音が人々 の脚に色舷し・杉を落としているのは事実なのだから。
自分の老後をそれまで貢献してきた社会に委ねることもできず、 自分自身で守らなければならないとしたら、人々は確実でより効率のよい畜財方法を考えなければなるまい。その人々の目の前には、 「土地は絶対に値上がりする、土地は莫大な投資効果がある」とい う神話が大きく横たわっている。
投資のための資金さえあれは魅惑的な神話。しかし、この神話を悪用する者たちが存在し、その者たちに夢や希望を奪われた数多くの人がいることも事実だ。
しかもその人たちの中にあってさえも、 今なお神話の効力は薄らいでいないようなのだ。
住む土地でなく生産する土地でもなく、安らぐための土地でもな い、そんな目的のために土地が切り刻まれ、このような神話が創ら れていく構造を目のあたりにするとき、土地とは誰のためにあるの か、土地とはいったい何のために存在するのかという根源的な問い かけを、押さえることができない。
それは同時に、土地の法律の専 門家たるわれわれ司法書士自らへの強烈な問いかけでもある。 もし神話が崩壊することがあるとしたら、そのとき人は、土地と 謙虚に向かい合うことができるだろうか。

1990年9月20日/全国青年司法書士連絡協議会