「詐欺師たちの顧客名簿は、『登記簿』だ」といったら

「詐欺師たちの顧客名簿は、『登記 簿』だ」といったら、おどろくだろ う。 不動産を売買したりする際、ほと んどすべての人がこの登記簿に記載 されている情報を信用する。登記制度を運営する国、登記実務にたずさ わる司法書士、経済活動を展開する 不動産業界、その他多くの関係者たちが築いてきたものを人々が信頼していればこそ、取り引きの安全のため、自分の権利を守るため、この制 度を不可欠のものとしているのであ る。
信頼できる制度だからこそ、詐欺 師たちもこの制度を悪用するのだ。
もちろん、詐欺師たちは目前の名 簿も持っていると思う。原野をだれ に売りつけたかは押さえている。原野商法(一次被害)と測量商法(二次被害)の仕掛け人は同一グループ のことも多いので、おそらくこの名 簿でもう1度だましてやろうと計画 するのだろう。
しかし、五年、六年と経過してしまえば、もしかするとその土地が転売されているかもしれない。自分た ちのグループ以外の詐欺師が何か仕 掛けたあとかもしれない。 そこで登記簿を調べるのだ。


登記所に備えてある登記簿は公開されているので、決まりの手続きさ え踏めばだれでも閲覧できる。過去に自分たちが売りつけた区域を調べ れば、現在の権利関係がわかる。転売されていても、現在の所有者の名 前や住所がはっきりと記載されているのだ。
次におそらく、原野商法の現場らしい登記を調べる。蛇の道は蛇、か ぎつけた情報をもとにあたりをつけて別の薄冊を閲覧する。周辺の地番 が「-〇〇〇番」だったり「-〇〇四番」だったりするのに、あるとこ ろで「-〇〇五番のハ二五」などと、何ケタもの枝番というものがついている土地に出くわせば、原野商法 の濃厚なにおいがしてくる。その前後には、枝番が連番になっている登 記用紙がズラッと綴じられているは ずだ。
しかも、北海道の土地は数千〜数 万u単位であることが非常に多いの に、そういう土地は350u(約百坪)と か400uなどと狭く、いかにも宅地風の面積になっているから ー目でわかるのだ。
そしてそこに記載されている所有者たち数百人のデータは、即、被害 者たち数百人のデータなのである。 コピーを手にいれるのも簡単だ。 登記簿謄本や抄本の交付を申請すれ ばよいのだから。
こうして、登記簿をもとにした正 確な名簿ができあがる。つまり、原 野商法に関していえば「登記簿」は 「被害者名簿」であり、詐欺師たち の「顧客名簿」でもあったのだ。


原野商法の責任はいったいどこにあ るのだろうか。
もちろん、詐欺行為をはたらいた業 者にあることはいうまでもない。しか しー方、「だまされる方にも責任があ る」という論が根強いことも否定でき ない。だが、そういってはばからない 人々が詐欺師の手口に絶対のせられな いという保証は、どこにもないのだ。
詐欺師たちが使う大道具小道具は、 測量図面、登記簿、そして登記済権利 証言・・結果的に土地の状況を錯覚させ るために悪用されたものだとしても、 それらはすべて「本物」なのである。 国民に信頼されているはずの登記制度 が悪用されているのだとしたら、登記制度にかかわる者たちの責任を無視す ることができるのだろうか。専門家や公の社会的使命から考えたら、本当に 責任はないといえるのだろうか。


<その1 土地家屋調査士の場合>
土地家屋調査士は、調査・測量・表 示登記の専門家である。原野商法の現場はたいがい土地家屋調査士によって 分筆登記がなされ、一つの原野が数百 もの土地に分割される。被害者がこの 図面を見せられてセールスマンの話を 信用した可能性は大きい。
測量や分筆登記の依頼があれば受託 するのは当然の職務であるから、それをもって責任が発生するとはいえない が、湿地や傾斜地、火山灰地をまるで分譲住宅地のような区画割にしてくれ という発注には、専門家なればの不自然な印象を感じとるにちがいない。
もし原野商法であるということを知 りながら受託を続けていたり、あるい は実際に杭も打たず測量もせず、図面上で分筆をしていたとすれば、当然法的責任が問われる。


<その2 司法書士の場合>
司法書士は権利の登記の専門家であ り、相続、売買などの登記は司法書士 に任せるのが安心、という市民の信頼 は完全に定着している。
司法費士が代理人となって申請し、 所有権移転の登記が完了し登記済権利 証ができあがれば、それを受け取った 買主は安心する。事実、原野商法の被 害者の1人は司法書士の名入りの権利 証を受け取り「これで枕を高くして寝 られる」と安堵したという。そしてこ の司法書士への信頼が、被害の自覚を 著しく遅らせてしまったというのだ。
このようにして多くの被害者は、買い戻しの約束の五年が経過するまでだ まされたことに気づかないという事態に追い込まれる。
司法書士が原野商法だと知っていな がら登記の依頼を受けたとすれば、そ れは詐欺商法に加担したことであり、 当然に法的責任を追及されなければならない。 しかし、「知らなかった」という場 合であっても、職務の専門性からそれを察知できる可能性は大きい。原野商 法のような詐欺行為を察知し未然に防 げる立場にありながら見過ごしたとすれぱ、それは司法青士の社会的使命に 反する行為であり、市民の信頼をうらぎる行為である。
全国青年司法書士連絡協議会の司法書士は、原野商法や類似の悪質な詐欺行為を許さず、それに関連するような 事件の受託を断固として拒否する。


<その3 法務局(登記所)の場合>
法務局(登記所)は国の機関である から、たとえ実態が大きな原野であろ うと、法律上は細かく区切られた土地 であることが国の公簿に記載されてい れば、市民がそれを信用するのは当然 である。
法務局には、表示登記が申請された 際それを調査する権限と責任がある。 管轄内の土地がどんな場所であるか現 状がどうなっているか、たとえば湿原 とか急な傾斜地、凍土であるなどを 知っている可能性は大きいから、それ が細分化され、角切り(住宅地の角地 が道路のために斜めに切られる)まで して分筆の表示登記が申請されたら、 しかも、分筆登記と地元以外の人への 売買の所有権移転登記がほとんど同時 に申請されることが多いのだから、何 らかの疑問を持つ可能性は当然大きくなるだろう。
もし法務局の権限と責任にもとづい て実地の調査さえしていれば、多くの原野商法は発覚し、分筆の登記申請は却下できたはずだし、犯罪が起きてい る可能性を警察や検察に通知すること もできたろう。
そうして、こんなに数多くの被害者 たちが生まれてくることなど、なかっ たはずだ。


法律を扱う人間は「責任」という言葉を現行法の上で解釈する。そして、 「法的根拠がない」「法的義務がない」 「法的権限を逸脱できない」という論議ののち、「責任はない」で終わる。
その空しさはいいようのないものだ。
普通の人々にとっては、妻に悲しい 思いをさせた夫の「責任」も仲間に不 愉快な思いをさせた人の「責任」も、やはり同じように責任なのだ。これら の責任とは社会や集団における倫理上 の問題なのだし、いうまでもなく極め て重要なことだ。これを直視し考え続 けることは当然であろう。それを無視 できる根拠が現行法にあり、「いまの 制度ではそうなっている」といってし まうのだったら、さまざまに市民を取 り巻く数多くの制度は、いったい誰のために存在するというのだろうか。


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